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江南同窓会会報66号

江南同窓会会報 第66号を2019(平成31)年2月15日に発行いたしました。
平成30年度総会に先立ち日本年金機構理事長の水島藤一郎さん(高17回)に『日本年金機構の経営雑感』として講演いただきました。同期のお仲間も大勢参加され、シニア会員にとって重要な生活基盤である年金の仕組み、永続性への取り組み、社会インフラとしての組織経営で苦心されていることなどなど分かりやすくお話しいただきました。

1面 平成30年度総会、母校創立100周年のお知らせ、次年度総会お知らせ、硬軟
2面 新任土佐校長挨拶、恩師からの便り(小林繁先生)、「校歌作詞者自筆の原稿―木俣修の推敲―」(旧職員 野地安伯さん(高11回))、第13回青春かながわ校歌祭
3面 OBインタビュー(「踊ることは生きること」 柴眞理子さん 高19回)、『助っ人バンク』協力のお願い
4面 北から南から(「北の大地に住んで五十余年」 半田壽一郎さん 高11回)、会員だより、第9回シニアゴルフコンペ、『江南マップ』登録のお願い

紙面をPDFイメージでご覧いただけます ⇒ 1面  2面  3面  4面

お手元に会報が届かない場合は、ご住所が正しく登録されていませんので、【住所変更連絡】よりご連絡ください。


【お詫びと訂正】

66号の会報に誤植がありました。原稿をいただいた筆者と会員の皆様にご迷惑をおかけしました。お詫びして訂正させていただきます。

 2面  「校歌作詞者自筆の原稿―木俣修の推敲―」(旧職員 野地安伯さん(高11回))の中で

     4段15行目   誤 痛み      正 傷み


「校歌作詞者 自筆の原稿 ― 木俣 修の推敲 ―」
旧職員 野地 安伯(のじ やすのり)さん(高11回)
 平成28年度の総会で校歌と作詞者木俣修(きまたおさむ)について講演する機会を頂きました。

 その中で、木俣修自身の流麗な書の額がずっと校長室の壁にかかっていたことをお伝えしました。それとともに、作詞者の書が残っているのは極めて稀なことで、修門下の歌人たちから羨望の眼差しが向けられているともお話ししました。

 昭和26年に書かれた毛筆の書は傷みが相当に激しかったのですが、数年前、当時の朝野哲夫校長( 高19回生) の働きかけで、専門家の手により、立派に修復されました。保存状態が良ければ、今後100年は大丈夫だと伺っています。
 
 歌詞の格調の高さ、調べの良さは見事というほかありません。詞中に『万葉集』や中国南宋末の忠臣文天祥(ぶんてんしょう)の「正気の歌」、更には日本の儒学者藤田東湖の「文天祥の正気の歌に和す」等の語句が巧みに取り入れられております。北原白秋の高弟木俣修の面目躍如たる作品でしょう。

 作曲者の平井保喜(ひらいやすき)は「ゆりかご」や「平城山(ならやま)」など数多くの作品を手掛けた平井康三郎その人で、保喜は本名です。
 
 講演の後しばらくして、何十年も行方知れずだった木俣修の原稿が、第二会議室に保管されていたという連絡を受けました。私はすぐに母校を訪れ、その「幻」の原稿一揃いを目にすることができたのです。

 「昭和二十六年八月八日完成」と添え書きされた封筒と原稿用紙3枚に万年筆で書かれた校歌、それに加えて作曲者平井保喜の楽譜まで残っておりました。

 その時点で「完成」としたとはいえ、なお作者の推敲がなされています。書中の言葉を辿ると、3箇所の語句―「息(いき)のまにまに」が「息のまにま」、「花水川」が「花水」、「思(おもひ)ふかめて」が「思ふかめ」と、それぞれ改めてありました。

 額に収められた書の末尾に、「昭和二十六年秋十月」と記されていますので、これが元の原稿から2か月後の「完成作」となりましょう。言葉と調べを殊に重んじた歌人の姿に、深く思いを致しています。


「踊ることは生きること」        神戸大学・お茶の水女子大学名誉教授
柴 眞理子(しば まりこ)さん(高19回)
 インタビュアー 渡辺大三(高11回)、美濃本小夜子(高18回)、沼田繁(高48回)
 舞踊学・臨床舞踊学を研究されている柴眞理子さんに話を伺いました。柴さんは幼少期からモダンダンスに打ち込み、国内で唯 一の舞踊研究室のあった東京教育大学体育学部(現・筑波大)へ進学。お茶の水女子大学大学院人間文化研究科の博士課程を経て舞踊学の研究者として歩み始めました。神戸大学の大学教育研究センター長、お茶の水女子大学の文教育学部長など歴任し、現在は放送大学の東京足立学習センター所長を務めています。
 
―舞踊学・臨床舞踊学はどのような学問なのですか。

 舞踊学は実際の舞踊活動を学問的研究の場に移し、その本質や歴史的意義を考え、人間と舞踊の関係の様々な在り方を探究するものです。私の研究テーマの一つは、社会を反映した身体から生まれたものです。 

 学生や幼児の身体の動きが乏しくなってきた時期と『メチャ嬉しい―すぐキレる』といった両極の感情以外の彩り豊かな感情の欠如が目立ち始めた時期が重なったことにあり、舞踊の特性から、質の異なる多様な動きの体験が豊かな感情の陶冶に繋がると考えました。

 例えばリズミカルな膝の屈伸は全身が上下動することによって次第に頬が緩んで笑顔をもたらすというように、身体の動きと感情は深い関係にあることを『体感による動きの感情価』というテーマで研究しました。

 また臨床舞踊学では人と人、特に身体と身体が出会い経験が交わる現場で展開する舞踊現象(行動)を解釈し意味づけを行います。

 研究成果に基づいて、大学生への指導のみならず、精神科の教授と共に精神病院入院中の患者さんにダンスセラピーを、また実家の幼稚園で身体表現の指導を継続してきました。実践からは多くの発見があり、それが次の研究課題になり、その研究成果が新たな指導に繋がるというサイクルを繰り返してきました。
 

―ダンスセラピーや身体表現はどんな内容ですか。
 
 幼児も大学生も患者さんも指導原理は同じで、内容も共通する点が多くあります。踊り方を教えるのではなく、私からテーマやイメージ、動きの手がかり等を与え、各自が自分のイメージにふさわしい動きで表現します。 例えば『春風が吹いてきました。ふわっ、ふわっ、ふわ〜り』 と言葉かけすると、幼児も患者さんも自分で工夫しながら素敵に表現します。

 今日は幼稚園で、ティッシュやコピー用紙、段ボールが落ちる様子を見せ、その時の音や落ち方の違いを身体でするという活動をしてきました。身近なものをよく観察し、そこから生まれるイメージや多様な動きは多様な感情を育みます。
 
―とてもユニークな授業ですね。

 大学での私の講義は、身体・感情・創造性・コミュニケーション・場などをキーワードに舞踊と人間の関わりを論じ、且つ、多様な舞踊実践の概説を通して、舞踊を人間の存在の観点から考えるというものです。

 赤ちゃんは生まれた瞬間から、動きと声で情報を伝えます。大人もうなずいて気持ちを伝えますね。身体表現は原初的で日常的なコミュニケーションです。そこにメリハリをつけて動い
ているといつの間にかダンスになります。踊ることは生きることなのです。
 
―研究はどう進めているのでしょうか。

 舞踊の活動が人間にどのような変化をもたらすのか、その科学的エビデンスを得るため、様々な領域の研究者と共同研究(文理融合型)を実施してきました。

 例えば、脳神経外科の教授の協力を得て、近赤外線光トポグラフィーによる実験と心理学的調査を同時に実施し、舞踊活動と脳機能の関係の解明に取り組みました。

 前述の『体感による動きの感情価』の研究では、工学研究者とモーションキャプチャーで動きを解析し、動き方の変化に伴う感情の変容を研究してきました。

 私の研究と実践の集大成として今春『臨床舞踊学への誘い』(ミネルヴァ書房)を上梓しました。
 
―放送大学ではどんな仕事をされていますか。

 放送大学の学習センターは全国に50カ所あり、各母体校との連携の下に運営されています。東京足立の母体校はお茶の水女子大学です。

 所長の主となる仕事は、面接授業(集中講義)の企画運営です。講師には江南出身の方もいらして、履歴書や面談で同窓と知ると、親近感がわきます。若手の中国語研究者と新しい授業を考えたりしています。
 
―高校時代は陸上部に所属されていました。

 走り高跳び専門でした。体育の宇佐美先生や熊澤先生、福島先生が指導して下さったのを思い出します。3年の時に南関東大会6位になり、インターハイにも出場しました。練習では技術や体力を身につけるというより、踊るようにリズムだけで跳んでいました。集中して新しい高さに挑戦する緊張感も好きでした。
 
―後輩に伝えたいメッセージはありますか。
 
 IoTで人とモノ、情報がつながる社会『ソサエティ5・0』を生きる後輩達には、人工知能(AI)に比して人間の強みは何かを考えて欲しいです。

 AIには倫理観や創造性、そして批判的見方がありません。世阿弥の教えに『守破離』がありますが、まずは基礎を繰り返し身につけた上で、多面的な物の見方・考え方・行動ができるようになるといいですね。
 
―リタイア後にしてみたいことはありますか。

 アルゼンチンタンゴ発祥の地、ボカでラ・クンパルシータを観ましたが、音楽・踊りの切れ味が素晴らしかった。マドリッドのタブラオで観たフラメンコでは、歳を重ねたたっぷりした女性の踊りにドゥエンデが宿るのを感じました。パンっと踵を鳴らした瞬間に空気が変わる。本場で本物を味わってみたいですね。

北から南から  北の大地に住んで五十余年
半田 壽一郎(はんだ じゅいちろう)さん(高11回)
原始林そばの馬鈴薯畑
 大学は理系を志向したが、進路がはっきりしていた訳ではなかった。漠然とした北の大地への憧れあり、農学系を選んだ。北海道の春は本州より一ヵ月ほど遅く、一斉に花が咲き、緑いっぱいの夏、秋は紅葉が特に美しい。冬は雪が多く寒さも厳しい。昭和35(1960)年ごろ、札幌の郊外では冬にはまだ馬橇が走っており、シャンシャンと鈴の音が聞こえ、春には街中でもいわゆる馬糞風が舞っていた。

 それに比べると近年の温暖化には驚くばかりである。 農業場面では、永年の研究努力で、美味しくないと言われてきた道産米も特A級の美味しい品種が育成され、コメ離れが進む中、冬小麦・春小麦もそれぞれ麺類・パン類に適した新品種が育成され、道産小麦も見直されてきたのは嬉しい限りである。寒暖の差が大きいことからメロンなどの果菜類や馬鈴薯のほか、根菜類、菜類も美味しい。

 職を選ぶに当って研究職の道もあったが、機会あり、発展著しい農薬の業界で長い現役時代を終えることになる。大阪をふりだしに、札幌、東京、札幌、仙台で営業、技術普及、研究開発と多分野での仕事を経験させてもらい、充実した生活を送ることができた。そして、札幌での生活が一番長く、終の住処となった。

歩くスキーで健康作り
 また、子供たちには経験を豊かにと思い、ホームステイ受け入れを30年余り前からやってきた。本人たちより親がのめり込み、16年前からは民間交流を進める国際団体(FFI)のメンバーになり、相互ホームステイをしながら欧米、オセアニア等にも知人友人ができた。
 
 一方、長年温めていた作物栽培の夢を、業界の仲間や知人達と近隣の広い農地を借り、野菜や馬鈴薯など畑仕事を20年程楽しんでいる。畑は広大な原始林に隣接し、エゾシカ、キタキツネや外来種アライグマによる被害対策に頭を悩ませているが、種々の野鳥の声や時々見かけるエゾリス等が和ませてくれるのも緑に囲まれた環境の中にいる幸せを感じる。私の住んでいる地域にヒグマはいない。
 
 年齢を重ねるに従い一番の課題は健康維持であり、春から秋にかけて自然いっぱいの森の中をノルディックウオーキングや畑仕事を、冬は歩くスキーあり、仲間とともに楽しんでいる。

趣味の親子作品展
 趣味のもの作りは、発表の場として親子展(シルバージュエリー作家の次男の連れ合いと)をここ数年一年おきにやっており、作品展を通じて年代の異なる知人も増えた。これからも健康で楽しい生活をエンジョイしたい。

 生まれ育った平塚は私の根っこであることにかわりはない。

 終わりに江南高校時代の直井要校長の言葉
      Worthy Use of Leisure で締めくくりたい。

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