平塚江南校舎 江南同窓会

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江南同窓会会報64号

江南同窓会会報 第64号を平成29年2月15日に発行いたしました。
平成28年度総会に先だち昭和38年から14年間教鞭をとられた野地安伯先生(高11回)をお迎えし『「山あり富士ヶ嶺」―校歌と作詞者 木俣修―』と題し、講演いただきましたが、校歌歌詞の分かり易い説明、学校に保存されている作詞者自筆の歌詞の逸話、歌人木俣修の話に、学生に戻ったような時間を過ごしました。

1面 平成28年度総会、会長挨拶、『まなびや基金』協力依頼、平成29年度総会お知らせ、硬軟
2面 新任小野校長挨拶、恩師からの便り(藤野敬子先生、宍戸(大村)章子先生)、
第11回青春かながわ校歌祭
3面 OBインタビュー(「日本民族の最高の美学」 矢部良明さん 高14回)、『助っ人バンク』協力のお願い、現役生の活躍(野球部ベスト16)、文化講演会
4面 北から南から(「過酷な鉄人レースに魅せられて」 高橋清悟さん 高31回)、会員だより、第7回シニアゴルフコンペ、『江南マップ』登録のお願い

紙面をPDFイメージでご覧いただけます ⇒ 1面  2面  3面  4面

お手元に会報が届かない場合は、ご住所が正しく登録されていませんので、【住所変更連絡】よりご連絡ください。


「日本民族の最高の美学」    東京国立博物館名誉館員
矢部良明(やべよしあき)さん(高14回)
 インタビュアー 渡辺大三(高11回)、美濃本小夜子(高18回)、沼田繁(高48回)
自宅の書斎で取材に応じる矢部さん
 矢部良明さんは東京国立博物館(上野)の学芸員時代、古陶磁を研究されていたことから、茶の湯への造詣を深めます。千利休や古田織部らの世界観に日本固有の美学を見出し、書籍などで研究発表されています。
 これまで大日本茶道学会の茶道文化研究奨励賞(1996年)、裏千家の茶道文化賞(2011年)を受賞。現在は人間国宝美術館(湯河原)館長、一般財団法人茶道宗?流不審庵(鎌倉)理事を務めています。東北大学文学部卒、同大学院東洋日本美術史学科修士課程を修了。著書に『千利休の創意』(角川書店)、『茶の湯の祖、珠光』(同)等。
   
◇ ◆ ◇
 
なぜ研究者の道を歩まれたのでしょうか。
 
 「奈良時代の仏教彫刻に憧れ、生涯の研究対象にできたらと、東京国立博物館に就職しました。しかし配属先は全く興味のなかった日本陶磁。日本の焼物は地味で面白みがなくて途方にくれました。しかし、輝くばかりの中国陶磁に目を奪われ、上司にその研究を許されたことで、自分の身を定めることができました。
 ところが、中国陶磁は私が何歳になっても永遠に変わらぬ感動をくれるでしょうが、人生経験を積むと、日本陶磁は人生の重ねに対応してメッセージを発する深みを持っていると気づくようになりました。その最たるものが茶道具です」
 
―それから茶の湯に傾倒されていったのですね。
 
 「茶から始めて気づいたのは、日本人は茶の湯というフィールドで美学を追求してきたということです。文化史家は茶人の履歴や交友、文化的特質を研究するだけでしたが、私にはその向こう側に太く流れる美学が透けて見えてきたのです。能楽の世阿弥、連歌の心敬、俳諧の芭蕉、そして茶人達は共通のキーワードを持っていた。ジャンルの違う芸術活動が同じ美学に収斂していく。それは『寂びる』ということです。日本は固有の美学を持たないと大学時代に教えられましたが、これが日本民族のもつ最高の美学だと確認したのが僕の歴史だと思います」
 
―茶の湯はどのように起こったのでしょうか。
 
 「インテリ階級だった禅宗の僧が中国の喫茶を国内に持ちこんだと言うと、さも禅の誘いで茶の湯が起こったように見えますが、庶民がアップグレードさせて起こした文化なんです。
 禅僧が持ち込んだ中国陶磁を否定し、寂びたる、冷えたる、凍りたる表情の茶道具が最高だという過程を辿りました。煌びやかさよりも『無』に近い道具が高級だと言い始めたんです。
 能も俳句も茶の湯も結局は禅と同じ無という境地に向かっていく所が面白いです。当初は雑器だった物が名品とされ、天下人の証となるような意味まで持ち始めます。信長、秀吉、家康の時代には政治手段にも使われ、政治と経済と美学が結びつき、茶の湯を天下の文化に引き上げた」
 
―焼物も歴史の変化にさらされてきたのですね。
 
 「文化は安定期に生まれると教えられてきましたが、中国陶磁の技術革新の歴史を見てみると、中国民族は混乱期に次の時代のプロトタイプ、技術革新を生んでいます。中国が世界に類を見ない文化発展を続けてきた背景は王朝の安定期にはなく、その前の混乱、疾風怒濤の時代にあったんです。
 元時代は蒙古族の支配で文化疲弊の時代と思われていますが、この時代の文化を次の明王朝が受け継いで洗練させました。宋文化のプロトタイプは五代十国、唐王朝の文化は南北朝から隋の時代に求められます。日本も文化的に画期的な時期は明治維新、戦国、鎌倉、飛鳥時代に求められます。
 文化史家は混乱は暗黒だと言いますが、前の文化や体制を否定し、混乱を起こすエネルギーが技術革新を起こしています。そんな歴史構造が焼き物を通して見えてきました」
 
―現在は国重文指定の旧一条恵観山荘(鎌倉)の保全に尽力されています。
 
 「昭和34年に京都から移築された建物です。摂関家の一条家が桂離宮と同じ寛永期に建て、多くの文化人が集まった宮廷サロンでした。一般財団法人茶道宗?流不審庵の理事として茶会や茶事を開きながら、山荘を守るのが今の仕事です」
 
―世の男性は茶会に参加するのでしょうか。
 
 「茶の湯は男性が育てたものですが、今の茶道は点前というハードルが男性を遠ざけています。その先に面白い世界があるのですが。
 最初は芸術活動として始まっても、日本では成熟すると家元制度のような存在が型をつくり始めます。歌舞伎も日本舞踊も本来は型の芸能であったはずがない。自由自在に創作活動をしていたはずなんです。明治〜昭和の大富豪は、窮屈な型ではなく、超然とした自己表現や創意工夫を茶の湯に託して遊んでいました。有り余る財力で茶道具を集め、数寄者同士が切磋琢磨していたんです」
 
―最後に母校の後輩に伝えたいことはありますか。
 
 「今や死語になった『文人』という言葉を高校生には認識して欲しいと思います。文化を自分のそばに常に置き、職業と文化を併せ持った人間のことを文人と申します。一本の筋は職業人、一本は文化人として人生を歩んでいけるよう、今から心がけてください」 

北から南から  過酷な「鉄人レース」に魅せられて
高橋清悟(たかはしせいご)さん(高31回)
マラソンスタート( ハワイ島2015.10)
 トライアスロンのアイアンマンレースという競技をご存じだろうか。俗に「鉄人レース」と呼ばれ、水泳3.8q、自転車180q、マラソン42.195qを連続して行う耐久レースで、元々は米軍水兵の酒席でのジョークから始まったものだ。 1978年オアフ島での第1回大会に始まり、現在では世界各地で年間35レースほど開催されている。
 特に毎年10月にハワイ島コナで開催される世界選手権の「アイアンマン ワールドチャンピオンシップ」は、これら各地の予選を勝ち抜いた選手だけが参加できる特別な大会だ。
 1978年当時26歳だった私はあるきっかけでこのレースの存在を知り、受けた衝撃からその場で出場を決意、その後の人生を大きく変えることになる。どうしたら出場できるかも分からないまま3種目のトレーニングを始め、既に妻子がいながら結果的には会社まで辞め、ついに翌年念願の出場、完走を果たした。
自転車は180km も漕ぐ(110km 地点)

 その後はスポーツ用品の輸入販売会社に就職し、レースでの成績が良かったことから同社のサポート選手として10年間の競技生活を送ることとなった。35歳で現在の保険会社への転職を機にいったん競技から離れたが、仕事も育児も落ち着いた50歳になるタイミングで復帰して今年で7年目。世界選手権への出場も17回を数える。
 また、以前よりトレーニング時間も確保できるようになり、2012年の世界選手権で年齢別4位、2015年には10時間15分59秒で2位の成績を収めるに至った。
10時間15分59秒で完走
 さて、この競技の魅力は何といってもその達成感だ。苦しいトレーニングや競技を乗り越えてたどり着くフィニッシュは格別で、一度味わうと病みつきになるほど。しかも距離が長いほどその達成感は大きくなる。この競技の愛好者は「トライアスリート」と呼ばれ、一般には理解されにくい過酷な競技に身を置く仲間同士という、ある種独特の一体感で結ばれている。また最近では、トライアスロンは時間や健康の自己管理が
年齢別2位の「鉄人」
不可欠であることから、「できるビジネスマンの象徴」として経営者やビジネスエリートたちの中にも愛好者が急増している。

 東京マラソンや湘南マラソンがなかなか参加できないほどの人気イベントとなった昨今だが、もう一歩踏み出してトライアスロンに挑戦してみてはいかがだろうか。マラソンとは比較にならない魅力満載であることを保証する。






【編集注】ちなみに五輪のトライアスロンは水泳1.5q、自転車40q、長距離走10qだ。高橋さんが挑む鉄人レース(制限17時間)の過酷さが、よく分かる。 


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