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江南同窓会会報59号

江南同窓会会報 第59号を平成24年2月15日に発行いたしました。
本号からカラー印刷になり、より臨場感をもってお伝えできるようになりました。また、江南同窓会会報の題字を刷新いたしました(森さん 高24)。
   1面:平成23年度総会、創立90周年記念式典、会長挨拶
   2面:大畑校長挨拶、恩師からの便り(瀬戸先生、杉山先生)、山之腰先生を偲ぶ、第6回青春かながわ校歌祭
   3面:OBインタビュー(米田さん 高34)、助っ人バンクへ協力のお願い、現役生の活躍
   4面:沖縄・伊江島にて(野村(山岸)さん 高25)、会員だより、第2回シニア親睦ゴルフ
   差込:母校創立90周年記念募金ご芳名一覧

紙面をPDFイメージでご覧いただけます ⇒ 1面  2面  3面  4面

【お詫び】
平成24年度総会(6月3日開催)のお知らせで担当回数が誤っておりました。今年の担当は高17回、高27回、高37回の皆様です。 代議員の皆様には追ってご依頼いたしますので、総会運営のお手伝いよろしくお願いいたします。

プロ野球で被災地に勇気      東北楽天ゴールデンイーグルス球団代表  米田 純さん(高34回)
                                                      インタビュアー 沼田 繁(高48回)
取材に応じる米田さん
東北楽天ゴールデンイーグルス球団代表で、チーム統括本部長の米田純さんにお話を伺いました。米田さんは早稲田大学を卒業後、西部百貨店に入社。プロモーション企画や営業分析の部署など16年間の勤務を経て、39歳で楽天に転職されました。楽天が球界参入を決めた2004年から、現職として球団の運営に尽力されています。
 
―大企業の西武百貨店からの転職は当時、大きな冒険だったのでは。
 
年齢を考えると冒険ではありました。当時の楽天市場はまだ小さく、事務所が中目黒にあった時代。親からは涙を流してやめてくれと説得を受けました。
 
―どんなことが転職を決断させたのですか。
 
西武百貨店の本社で店舗の利益計算などをしていた時期、発売されたばかりのWindowsに触れ、IT企業に興味を持ちました。同じ小売で楽天市場にも注目していました。三木谷浩史代表と面接で会ってこの人と一緒なら、もうひとつ将来の可能性を追求できそうだと決断しました。楽天ではユーザーマーケティングの新規部署の創設に携わり、楽天ポイントの構築に関わっていました。
 
―どんな経緯で球団代表になったのですか。
 
2004年9月に球界参入を目指す中で、僕が大学まで野球をしていたということで社長室から声がかかりました。社内に野球経験者があまりいなかった。
 
―野球関係の仕事はずっと夢見ていたそうですね。
 
野球で育ってきたので、格好良く言うと野球に恩返しをしたかった。西武百貨店時代は大学でコーチもしていましたし、仕事でもライオンズセールに関わりました。当時の球団代表に用具係でもいいから入れてくれって掛け合ったことも。願い続けてきたので、チャンスが来たと思いましたね。
 
―11月2日に球界参入が決まり、過密日程の中でご苦労が多かったのでは。
 
初年度は、分配ドラフトで近鉄とオリックスのプロテクトを外れた選手でチーム編成しました。当時の田尾安志監督が11月6日から秋季キャンプをやりたいと。でも球場がなかったので頼みこんで藤井寺球場を借りたはいいが、今度はユニホームがない。楽天市場のロゴを入れた白いユニホームを手配したのですが、まるで高校球児(笑)。監督が打撃投手をして、僕が球拾い。野球をやるだけで精一杯でしたが、作り上げる喜びもありました。
 
―楽天は東北でどんな存在になりましたか。
 
小学生の半分位は、楽天の帽子で学校に通ってくれているのでは。おらがチームというような目で、熱心に応援していただいていると思います。
 
―その東北を3月11日の震災が襲いました。
 
明石でオープン戦をしていた時で、選手の家族のいる仙台に帰れない。野球をしている場合なのかという葛藤に包まれました。しかし開幕が迫る中で、今出来ることを頑張ろうということでやってきました。
 
―期するシーズンだったのではないでしょうか。
 
千葉で開幕だったのですが、選手は一度仙台に帰らないと落ち着かないというので、被災地の避難所を訪問し、そのままバスで千葉に入りました。選手は元気を与えに行って、元気をもらって帰ってきた。『よし、今年やるぞ』という気持ちになりましたね。4月29日のホーム開幕戦も超満員。奮い立ちました。
 
―多くの被災者に勇気を与えました。
 
被災地から球場への招待もしましたし、被災者を勇気づけられると思ってやってきました。1勝あたり100万円を震災孤児に寄付しようと、三木谷と球団、監督と選手会でお金を出し合って、6500万円を寄付することもできました。
 
―苦しいシーズンだったのではないでしょうか。
 
星野仙一監督の初年度でしたし、震災の影響もあったかもしれません。統一球の影響もあった。序盤は飛ばしていましたが、踏ん張りきれなかった。終わってみれば65勝で、あの試合を拾えたら上が見えたという手応えはありました。
 
―球団代表はどんな仕事をするのですか。
 
チームの編成や運営の責任者という立場です。バジェットコントロールのなかで最大の戦力を現場に供給し、監督に戦ってもらう仕事です。また、連盟に対する代表者として会議に出るというのが球団代表としてのポジションです。
 
―星野監督はどんな方ですか。
 
あのまま熱い方。ファンサービスにもアイデアを持っています。クレバーで燃えるものがある。星野監督がいる間に絶対優勝しようと、話し合っています。
 
―江南高校での思い出はありますか。
 
まず新入生テストで学業のレベルに驚きました。僕は確か400何番目(笑)。体育祭が特徴的で、仲間がいっぱいできたのが良い思い出。悪いこともしましたがここでは言えません(笑)。僕はリトルリーグやシニアリーグで硬式野球をしていて、別の私学に行きたい思いもありました。しかし、そういう道を歩んだから今の自分があると思う。
 
―後輩に何かメッセージをお願いします。
 
高校時代は将来を決める大切な時期です。漠然と大学に行きたいというのではなく、世の中のために自分に何ができるのかを考えて欲しい。そして夢を大きく持って欲しい。僕は野球の仕事をしたいと願い続け、チャンスに恵まれました。諦めずにやり続けることが大切。その過程では意に反する所に身を置くこともあるでしょうが、僕の場合はそういう経験が生きていると思うし、何でも無駄はないと思って物事に真摯に向き合うことが大切です。
 
―復興と歩む一年。抱負をお聞かせください。
 
東北楽天ゴールデンイーグルス
復興は10年単位で見ていく話ですし、地元密着の球団として出来る限りの支援をしたいと思います。何よりも勝つことが勇気を与えられると信じ、来年はソフトバンクを倒して優勝したい。課せられた使命だと思う。皆さんも是非、仙台に応援に来てください。



北から南から  沖縄・伊江島にて              野村(山岸) 真理子さん(高25回)
野村(山岸) 真理子さん
 私が住んでいる伊江島は、沖縄本島北部、本部半島にある海洋記念公園の真向かい、本部港からフェリーで30分の所に浮かぶ人口5千人の島です。

 江南高校を昭和48年3月に卒業した私は、大学卒業後、主人と沖縄に移り住みました。 今でこそ沖縄はメジャーな観光地となりましたが、当時はまだまだマイナーな時代。 国道58号線「ハイウェイbP」と呼ばれた米国統治の面影が色濃く残っていた頃です。

 昭和50年の沖縄海洋博が空振りに終わり、その後の不景気に沈滞気味の沖縄でした。 私の眼には紺碧の海と抜けるような明るい青空に照りつける太陽の下で、沖縄の人々はなんくるないさー≠ニやたらに明るくふるまっているように思えました。

 伊江島住人の私たち(夫は教会の牧師、私は塾の指導者)は溢れる自然の中でのびのびと育った島の子供達が、私たちの子供と思って、楽しく過ごしています。 それは高校の無いこの島では子育ては15歳までだからです。 私たちも15歳までの子育てに全力投球したうえで3人の子供達を中学校卒業と同時に沖縄本島にある高校へ送り出しました。
100名以上の江南生を迎えて H23.10.6

 住めば都といいますが、土地の住みやすさは住む人の思いひとつで左右されるなと考えています。

 毎年4月には伊江島一周マラソンが開かれ、村内外のランナーが健脚を競います。マラソンが終わると100万輪といわれる「ゆり祭り」が開かれ、ゴールデンウィークにかけて島の人口の何倍もの観光客がやって来ます。 9月に行われる村内競技大会は村を挙げての一大イベントです。 

100万輪の「ゆり祭」
 ここ数年民泊事業が盛んで、日本各地の中学や高校から修学旅行生が訪ねてきます。 平成23年10月6日に江南高校の修学旅行・離島体験グループが訪ねてくれました。 前日までの雨が嘘のように、日焼けが心配になるほど見事に晴れ渡りました。33年も沖縄に住んで、すっかり沖縄の人(うちなんちゅう)になっている私も、江南高校の名前を聞くと、心はすぐに平塚での青春時代にワープ出来るのですから不思議です。 どなたとも面識がないのに、旧知の友をお迎えする思いで、フェリーから降りる江南生をワクワクしながら見ていました。
エメラルドグリーンの海 先生方とご主人と
 皆さんと高校の様子や思い出を共有でき本当に感謝のひとときでした。 別れの際、女の子達が伊江島を『きれいな島でした。』『楽しめました。』と言葉を掛けてくれました。 素晴らしい天気の助けもあり、島で楽しい時を過ごして頂けたことが何よりの喜びです。

 甲子園ではもうすっかり沖縄を応援する私ですが、母校に対する思いは、心の中で大きなウェイトを占めていることを再確認できました。
 

 来年も楽しみにしています。 そして、同窓生の皆様沖縄に、伊江島においで下さい。 お待ちしています。


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