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江南同窓会会報60号

江南同窓会会報 第60号を平成25年2月15日に発行いたしました。
昨号からカラー印刷にいたしましたが、皆様から読みやすい、臨場感が伝わるなど嬉しい評価をいただきました。 厳しい財政状況ですが、今後もカラー化を進めてまいります。
   1面:平成24年度総会(財政安定化のための会則改定)、会長挨拶
   2面:大畑校長挨拶、恩師からの便り(野地先生、榎本先生)、第7回青春かながわ校歌祭
   3面:OBインタビュー(野地さん 高29回)、『助っ人バンク』協力のお願い、新たな入学者選抜方式、現役生の活躍
   4面:『平塚でしなかったこと』(中村(繻エ)さん 高4回)、会員だより、第3回シニア親睦ゴルフ

紙面をPDFイメージでご覧いただけます ⇒ 1面  2面  3面  4面

【お詫びと訂正】
60号の会報に誤植がありました。原稿をいただいた筆者と会員の皆様にご迷惑をおかけしました。 お詫びして訂正させていただきます。
     1面  「同窓会費改定のお知らせと会費納入のお願い」の中で 
          8段目      誤 10年:24回生     正 10年:54回生  
     2面  恩師からの便り 「野地安伯先生(国語)(高11)」の中で
          3段29行目   誤 いたのですが      正 いたのが
             30行目     気持              気持ち
          5段 5行目     タイガーズ           タイガース

【総会担当学年の変更】
平成25年度総会(6月1日開催)より10年毎会費の該当学年を担当回数とするように細則を改定いたしました。 今年の担当は高14回、高24回、高34回、高44回、高54回の皆様です。 代議員の皆様には追ってご依頼いたしますので、総会運営のお手伝いよろしくお願いいたします。

状況が人を動かす    横浜ゴム株式会社 代表取締役社長 野地彦旬(のじひこみつ)さん(高29回)
                                          インタビュアー 美濃本小夜子(高18回)、沼田 繁(高48回)
取材に応じる野地さん
 横浜ゴム株式会社代表取締役社長の野地彦旬さん(54)にお話を伺いました。野地さんは82年に入社。タイヤの設計や工場の運営、海外現地法人といった現場の最前線を渡り歩き、11年6月に社長に就任されました。年間売上高5600億円、従業員2万人の舵取りをされています。

―横浜ゴムに就職したきっかけは何でしたか

 大学在学中にラリー好きの高校、大学の先輩(杉山信一さん 27回生)に誘われ、ヤビツ峠や久野林道を車で走っていました。そんな趣味が高じ、ラリータイヤやラリーチームのブランド「ADVAN」に憧れ、その会社にどうしても入りたかった。正直に話すと当時、それが横浜ゴムとも知りませんでした。

―最初の配属はタイヤ設計の仕事でした

 当時、ADVANの技術者の山下隆さんや企画の水野雅夫さんという人が国内モータースポーツを育てていて、ラリー好きの連中には有名な存在でした。配属希望を聞かれ、生意気にも「2人と仕事がしたい」と言ったら、レース部門で仕事をさせてくれました。

―そこでご活躍された
 
 入社から数年で、「グループA」や「グループC」というカテゴリーのタイヤ設計を任され、私の担当したタイヤは87年頃をピークにことごとく各大会でチャンピオンになりました。天狗になりましたね(笑)。その後、F1直下に位置するF3000の主担当に呼ばれました。そこは当時、当社のタイヤをはいた車が周回遅れになる状況で、会社全体の頭脳を結集して力を入れようと、プロジェクトチームが編成されました。苦節2年で、いいタイヤができましたよ。

―国内外工場の管理職も経験され、海外では特にご苦労が多かったのでは

 90年頃、当社が米国法人の工場を買収し、初めて海外進出を果たしました。私を含む5人が派遣されましたが、米国は労働組合が強い土壌で、相当苦労しました。日本の工場は、安全や環境、品質に対し、現場が積極的に改善に取り組みます。しかし米国では、改善すると少人数化に繋がると考えられており、雇用を守ろうとする組合の反発が強かった。例えば我々スタッフが現場の仕事を手伝うことさえ、「人が足りないなら雇え」となる。

―どう改善されたのか

 2年目のある日、私が工場で試行錯誤していて、36時間続けて勤務したことがありました。それから空気が変わった。『本気でいいものを作ろうとしている』と、現地の人が感じたのだと思います。同じ現場で一生懸命働けば、互いに情もわく。結局は信頼関係。本気でぶつかるとなんとかなる。これが現場の原点です。

―フィリピンの現地法人の社長も経験されました

 フィリピン人は一般的に自分の意見をあまり言わない国柄です。現場のことは現場がよく知っているわけだから、自分たちの意見を言いやすい環境に工夫しました。当初は累積損失がかさんでいましたが、結果的にいい会社になった。海外は宗教や文化、慣習など、考えるベースが違う。まずは、それを理解することも必要だと学びました。

―リーダーの役割とはなんでしょう

 私も薫陶を受けている組織改革研究会のキャンパスリーダー、藤田英夫先生に『状況が人を動かす』という言葉があります。人間は問題に直面すれば、何かを考えて行動する生き物です。現場にどのような問題や法則があるのかを探し出し、自ら判断して行動しなければならない状況に追い込む。これが真のリーダーの役割です。リーダーは一から十まで教えては駄目。部下は言われたことしかやらなくなってしまいます。

―もう少し詳しく教えてもらえますか

 例えば、部下に「何が起きたのか?」「解決するために事実を調べてみたらどうか」など、“事実は何か?”と投げかけるんです。時間のかかる作業ですが必要なことです。麻雀も、背後から教えられた通りにして勝ったとしても、何も面白くないですよね。駄目なリーダーは、脳をフルに使って考える喜びを社員から奪っているんです。

―現在の日本のものづくりについてどう見ますか


 非常に危惧しています。今好調の韓国家電メーカーには、日本企業OBの技術者が多数引き抜かれていますが、彼らは
10〜20年前の技術をベースに開発をしています。今の日本の技術者は、もっと最新の技術をベースに研究しているのだから、負けるわけはないし、本来一歩先に進んでいるべきです。今、爪が油にまみれたエンジニアは滅多に見なくなりました。それが原因と思います。昔の技術者は現場に飛び込んで、一緒に仕事をしたものです。加工技術は下手でも、現場のおじさんと共通言語で話ができた。

―今後はどんな人材に期待しますか

 新入社員の面接で「合コン」を大学時代に開いたことがあるかと聞いたことがあります(笑)。合コンに限らず、コンサートやツアーなんかを大勢集めて開いているような学生は、一味違いますね。人を集めるためには、どうしたら興味を持ってもらえるのかを徹底的に考え、伝えないとできません。人望も必要です。勉強はそこそこでも、そういう人が一番欲しいです。

―高校の思い出はなんでしょう

 応援団にいたことや、男友達何十人かと馬鹿をしていた思い出が強いです。今でも高校時代の同級生とは年に何度も会う仲。私も平塚在住ですが、みんなも地元を離れませんしね。

―現役の高校生に何かアドバイスはありますか


 世界や地球のために何をしたいのか、というような目線で将来を考えて欲しいですね。あとは将来を決めつけず、可能性を潰さないようにしてもらいたいです。公立高は私立高と比べれば、学生に多様性があると思う。これはもの凄いメリットです。学校では互いを理解したり、コミュニケーションをとったりすることを学んで欲しいですね。

北から南から  平塚でしなかったこと              中村(繻エ) 暎枝さん(高4回)
 平塚を離れてもう50年余となる。今いる仙台に来てからもう40年だ。生涯の約半分をここで過ごしたことになり、一体何をして来たのだろうと、内心恆怩たるものがある。具体的に何に時間を費やして来たのか。残された時間も多くはない今、振り返ってみることにする。
 寝る時間、食べる時間、家事の時間をひいて、残りの中で一番多かったのは、鳥を見る時間≠セったろう。いわゆるバードウォッチング。のめりこんでいたと言ってもよい時期さえあった。
仲間とバードウォッチング(筆者:写真中央)
 きっかけは、やはり仙台に来たことだろう。最初に住んだのは墓地に隣接する家で、初夏いきなりカッコウの大声に驚かされた。この鳥なら、野鳥を知らない人でもすぐにわかる。スズメとカラスしか知らなかった私でさえ。外に出てみると向いの杉木立の天辺で鳴きたてて居り、なんと目が合った。それまで野鳥はおろかアウトドアに類することにいっさい興味を持たなかったが、この時、ふっと鳥の方に意識が向いたらしい。
 その後桜の名所の近くに引越し、やはり初夏、聞いたこともない美しい声で鳴く鳥がいた。あの鳥は何だろう。図鑑を求めたものの同定できるはずがない。声の図鑑などない時代だった。たまたま新聞に野鳥の会の早朝探鳥会のお知らせというのが載っていた。探鳥会ということばも初めて知った。そうか、そういうところならくわしい人がいて、教えてもらえるかもしれない。 
アジサシ
 早朝ゆえに交通機関もなく、4キロ歩いて集会地点に行き、憶面もなく早速たずねる。あのきれいな声の鳥は何ですか?どこで鳴いていたか、木の上か下の茂みか、スズメより大きいか、色は、模様があるか、どんな飛び方か、春にはいなかったのか、と問い返される。なるほど、こうやって条件をおさえて同定するのか。それは、これまでに仕事にしてきた知らない言語の単語分類と同じではないか。もりもりと興味がわく。そしてこの鳥はクロツグミと判明。日本三大鳴鳥の一つとか。その場で野鳥の会に入会する。
 その後は前記の通り、のめりこんで、深くはまった。日曜日毎、和服を着て茶道の稽古に行く夫をしりめに、自分は望遠鏡とリュックを担いで出かける始末。バブルの時代とはいえまだまだ宮城は 鳥見 ≠フポイントは多く、行先にことかかなかった。それ迄の生活からは思いもよらないことだった。そのうち、宮城支部の事務などを手伝うようになり、今、有名になっているアミューズトラベルのツアーで、海外にも何度か(幸い事故はなかった)。
カワセミ
 このように鳥中心の生活は何年だったか。しかし、去年の震災で壊滅的な場所も、又、ずい分荒れて変ってしまった所もあって、この一年は出掛ける勇気もなくなった。
 だが今、つくづく残念に思うのは、なんで平塚で鳥見≠していなかったのか。平塚には海あり、里山あり、川ありで、鳥はたくさん居ただろうに。あの時からはじめていれば、今400種近くのライフレコード(一生で何種の鳥を見たか)をもう少し伸ばせていただろうに。
 母校にも 鳥見 ≠フグループはあるのだろうか。あったらうれしいのにな。

                                             (挿絵:筆者)

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